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 >> 「もしもし、ミユキさん?」
 「世の中間違ってると思わない?生まれついた場所やなんかが違うだけで、すべて人は等しく扱われることがない。アフリカの難民キャンプで生を授かった人、港区の産婦人科で産まれた人、労働力のアテとして生まれた人。この3つのパターンから考えてみても、港区で産まれた子どもが環境として一番いいところに降りてきたと考えるのが自然だ。将来をおおかた約束されて、衣食住も満たされてる人は世界的な視点で見たらごくわずかなものになるだろうね。人間は生まれた瞬間から平等じゃないよ。でも、そもそもなんでこんな格差が生まれたんだと思う?人はもともと自由・平等に暮らしてたんじゃないのかな?原始的な生活がされていた時代を想像してみても、今あるような大きな格差社会は存在してなかったと思うんだ。フランスの啓蒙思想家・ルソーも「人間不平等起源論」で同じようなことを述べてたよ。ルソーが説いたこの人間の不平等の根源は「私有財産制」だった。彼は、私有財産制とともに人間の欲望は増大し、富の不平等を招き、世の中を戦争状態にしていると説いたんだ。僕はこの意見に大いに共感するね。人が同種のうちで共存・共栄を図ることができればこんなことにはならなかったはずだ。でも、人は利己的でなければここまで種を繁栄させることができなかった、というのもまた事実だと思うんだよ。競争原理が存在してなければ、今こうやってキミと、ケータイという文明の利器を使って会話をすることはできなかったわけだしね。少なくとも僕たちはその恩恵を受けているはずなんだ。だから無責任なことを言うことはできないはずなんだと思う。でも、格差は実際存在するわけだし、これを無視することは許しがたいはずだ。そこで僕は思うわけだよ。不遇な時代を生きていると感じる人々に必要なのは、人が強権的に付与する政策やなんかじゃない。一番重要なのは当人が「幸せ」を感じることだってね。結局は「やってやる方」と「やられる方」とにわかれて主従関係が成立しちゃうんだ。格差があるからってお上の世話になろうとしても、それは根本的な解決には繋がらないよ。僕は昔、恵まれない中東の人が必死に生きているってドキュメンタリーを見たことがあるんだ。彼らは働いても、働いても満足な収入を得られない環境にいる人々だったよ。そんな状況で彼らがそこで生きる理由、それは家族や妻といった「幸せ」のカタチを崩したくなかったからだと思うんだ。彼らは決して後ろ向きにはならなかった。死を選んだり、逃げ出すことを選ばず、必死に立ち向かっていたんだ。僕はその原動力が「幸せ」を感じる心にあると思うんだ。これは愛であり友情であり、さまざまな感情だ。僕はこの主張を色んなところに広めていきたいんと思ってるんだ。これが僕の思う理想の世界への第一歩になると思ってるからね・・・でも、それにはまず僕が「幸せ」を感じていなきゃならないと思うんだ。主張する本人がそうでなけりゃ、まったく説得力がないからね。だから、だからミユキさん・・・僕と結婚してください!」
 「ごめんなさい」

 070710

ほーむ > げるまにうむ


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